江戸時代になると、お茶にはそれぞれの藩によって産地の名前がつけられるようになり、「矢部茶」の銘が登場します。 明治・大正時代になると技術の進歩や嬉野の技師との交流がさかんとなり長寄れの形状の青柳茶は丸みをおびた玉緑茶の形状に変化し矢部茶と呼ばれるようになりました。 またこの頃には、矢部茶の技術者が西洋の技術を学び地物の山茶を利用し紅茶の製造も試験的に始められました。(かなりの苦労があったみたいですが) 当時釜炒り茶「矢部茶」ともに紅茶は日本製の緑茶・紅茶として輸出品として外貨獲得の期待がかけられましたが紅茶のほうは、手間と風土、両面に適さず減少していきました。 しかし稀に出来上がった紅茶には芳醇な香りと緑茶にはない、強い甘みがあるものが出来上がったとの伝えもあります。 大正末期には、渋み少ない蒸製玉緑茶が登場しますが矢部郷の茶師達は、釜炒り茶・玉緑茶・蒸製玉緑茶の製造最終工程で大釜で釜炒りする独自の釜仕上げ工程を取り入れた製法を誕生させました。 釜仕上げ工程を取り入れた矢部茶はやや黄色み掛かった水色と、お茶本来がもつほのかな渋み、飲み終わった後に口の中で広がる爽やかな甘みが特徴で口こみによる評判で広く全国に知られるようになりました。 芳田園では、創業以来、先人の茶師たちの伝統と技術を受け継ぎ時代時代で愛飲されてきた、青柳茶・釜炒り茶・矢部茶をこれからも皆様のやすらぎの友としてお届け出来るようご堪能して頂ければ幸いに存じます。 |